インゴ・ヴォルクマン――アトレティコ・バレアレスの歴史を変えたドイツ人実業家

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コパ・デル・レイでアトレティコ・マドリーと対戦するアトレティコ・バレアレスの近年の歴史は、インゴ・ヴォルクマンなしには語れません。1967年にベルリンで生まれた彼は、マジョルカに移り住む多くのドイツ人実業家の一人になることもできましたが、彼はさらに一歩踏み出す決断をしました。

2014年6月、クラブが破産手続きに入ってから2か月後に、ヴォルクマンはアトレティコ・バレアレスの経営権(株式の51%)を取得しました。オーナー兼会長として就任した当時、チームはパルマ市との問題により、本拠地であるエスタディオ・バレアルで1年間試合ができず、マガルフで“放浪”を余儀なくされていました。ヴォルクマンが最初に下した決断の一つが、チームをソン・マルフェリットのグラウンドへと戻すことでした。また、育成部門の再建が行われ、クラブは破産手続きを脱し、300万ユーロの増資が実施され、その結果、ドイツ人実業家である彼が株式の過半数を握ることになりました。

これにより、1942年に創設され、起源を1920年代にまで遡るマジョルカの名門クラブは息を吹き返しました。ヴォルクマンの目標の一つは、エスタディオ・バレアルの改修でした。そして2019年9月、UDラス・パルマスのリザーブチームとの試合で、新たなスタジアムがパルマに誕生しました。総額900万ユーロに及ぶこの投資は、すべてヴォルクマン自身によって賄われました。

昇格プレーオフ圏内にいたグスタボ・シビエロ監督(アルゼンチン人)を、選手に与えるオフの日に納得がいかないという理由(ドイツ人の医師が会長に別の日を推奨したため)で解任するといった、物議を醸すエキセントリックなエピソードもありましたが、この期間のスポーツ面での結果は決して悪いものではありませんでした。

現在、アトレティコ・バレアレスはセグンダRFEFに所属していますが、これまでにプリメーラRFEFで3シーズンを戦い、セグンダ・ディビシオン昇格プレーオフにも3度出場しています。また、2019年と2020年にはグループ優勝を果たしており、これはそれまでバレアレスのクラブが一度も成し遂げたことのない快挙でした。

そして今週水曜日、インゴ・ヴォルクマンは、数週間前に会員の多数決でその名が付けられたスタンドから、誇らしげに自らのチームがアトレティコ・マドリーと戦う姿を見守ることになるでしょう。彼が改修に尽力したエスタディオ・バレアルに掲げられた銘板の言葉が示す通り、彼のおかげで、アトレティコ・バレアレスの“家”は再び鼓動を取り戻したのです。

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