シメオネ対アルメイダ ― 最も親密な戦い

この記事は約4分で読めます。

アトレティコ・マドリーとセビージャが11月1日(土)にメトロポリターノで対戦しますが、この試合ではこれまでにないベンチ同士の戦いが見られます。長年の親友同士が再会することになるのです。

チョロが親しい仲の相手と対戦するのはこれが初めてではありません。かつてセルタ・デ・ビーゴを率いていたトルコ・モハメドとも対戦し、そのときは後者が勝利を収めました。今回はもう一人の親友、マティアス・アルメイダと対戦します。アルメイダは現在セビージャを率いており、自身の色をチームに吹き込もうとしています。

シメオネ監督がここまでよく知っている人物は他にほとんどいないでしょう。なぜなら、クラブでもアルゼンチン代表でも、彼のキャリアの多くをこの現セビージャ監督と共に過ごしたからです。

二人がともに最も成功を収めたのはイタリアでのことでした。S.S.ラツィオ時代、スヴェン=ゴラン・エリクソン監督の下で中盤の要としてチームを支え、歴史的なチームの一員となりました。彼らはセリエA、コッパ・イタリア、イタリア・スーパーカップ、そしてヨーロッパ・スーパーカップのタイトルを獲得しました。

二人は1998年と2002年のワールドカップでアルゼンチン代表としてプレーしましたが、代表ではタイトルを獲得できませんでした。しかし、1996年のアトランタ・オリンピックでは銀メダルを獲得したチームメイトでもあります。

まさに「人生を共にした」と言っても過言ではありません。というのも、ラツィオ時代やアルゼンチン代表の合宿では、同じ部屋で過ごすことも多かったからです。そして、その間には明確な性格の違いもありました。「僕はチョロと一緒に部屋で過ごしていたんですが、彼はいつもとても早く寝ていました。ヨーロッパの時間感覚なんですよ。でも僕は、夜になるとタバコを一本吸うのが習慣でね。当然、彼は文句を言うんですが、僕は自分の性格のままに、彼のほうに煙を吹きかけて一緒に吸わせてやってました(笑)」とアルメイダはあるインタビューで語っています。

アルメイダが監督として活動していた頃、チョロの長男ジョバンニ・シメオネをバンフィールドに獲得しようと試みました。最終的に彼はアルメイダがチームを去る直前に加入することになります。

アルメイダにとってシメオネは明確な「監督としての手本」でもあります。実際、セビージャの監督就任時にそのことを認めていました。記者たちからは「セビージャのシメオネになりたいのか?」という質問も出ました。

アルメイダは次のように語りました。「僕たちは共通点もありますが、とても違うんです。ディエゴは素晴らしいプロフェッショナルです。偉大なプロフェッショナルと“サッカーに取りつかれた人”との間には紙一重の差があります。そしてチョロはまさに後者なんです」と。

「セビージャのチョロになれたらいいですね」
さらにアルメイダはこう続けました。「僕もセビージャで、彼がアトレティコで成し遂げたことをできたらと思っています」。実は、チョロが監督としてのキャリアをスタートさせた当初、アルメイダは彼のアシスタントになる寸前まで行っていたのです。2006年、シメオネがラシンを率いたとき、彼は一度オファーを受け入れましたが、その日のうちに思い直し、まだ現役を続けたいと伝えました。

「当時僕はまだプレーしていました。最初は“やります”と言ったんですが、夕方になって後悔して“やっぱりやめます”と伝えました。サッカーの見方も違っていましたし、まだ少しプレーしたかったんです。それに、僕の目標はアシスタントではなく監督になることでしたから、感謝を伝えて辞退しました」と振り返っています。「チョロが監督を始めたとき、スタッフに入らないかと誘ってくれましたが、僕はその段階ではまだその準備ができていなかったんです」とも、セビージャ就任時に明かしました。

シメオネはアルメイダがいずれ優れた監督になると確信していました。「彼はいずれチームを率いることになると最初から分かっていました。彼には重要な資質があったからです。マティアスは勇敢で、明確な考えを持った監督です。チームに情熱、努力、忍耐、そして何より“信念”を与えるタイプです。監督として最も重要なのは、選手たちに自分の考えを信じさせる能力だと私は思っています。そして彼はまさにそれができる監督なんです。彼がこれまでのチームで示してきた通りにね」と、シメオネはアルメイダの回想録の中で語っています。

コメント