マドリードの「カサ・デ・アメリカ」にて、アソシエーション「Los 50」が主催するイベント「イベロアメリカとアトレティ」が開催されました。ゲストとして招かれたのは、大西洋の向こう側からアトレティコ・マドリーでプレーした3人の元選手――ディエゴ・ゴディン、ルベン・カーノ、そしてドナトの3名です。また、マドリード市長ホセ・ルイス・マルティネス=アルメイダ氏も来賓として出席し、クラブを代表してオスカル・マヨも登壇しました。ヒスパニックデー(スペイン語圏の日)を2日後に控え、アトレティコとイベロアメリカとの深い絆を称えるイベントとなりました。
午後19時03分、リビアでアトレティコがインテル・ミラノと親善試合を行っている最中、会場であるカサ・デ・アメリカのガブリエル・ミストラル円形劇場ではイベントが開幕。満席の中、短い紹介の後、ジャーナリストのフアン・ペドロ・バレンティン氏が3人のレジェンドを次々に呼び込み、観客からは熱い拍手とチャントが送られました。
──1970年代の“インディオ”たち
続いて、ペトン氏とホルヘ・レラ氏の進行によるトークセッションが行われました。テーマは、1970年代にアトレティコが“インディオ”というあだ名で呼ばれるようになった経緯について。当時、南米出身選手が多く在籍していたため、当初は侮蔑的な意味合いで使われていたものの、やがてサポーター自身がそれを誇りとアイデンティティとして受け入れるようになったといいます。
ルベン・カノはその点に触れ、「あの呼び名は、アトレティコでプレーしている時だけでなく、スペイン代表の時にも言われていた」と苦笑まじりに振り返りました。ドナトは「バスコ・ダ・ガマから来た時、ロッカールームで本当に温かく迎えてもらった」と語り、ゴディンは「当時のチームの団結力が成功の鍵だった」と述べ、「スペイン語を話さない選手がほとんどいなかった。オブラクでさえ話すようになったくらいだからね」と冗談交じりに付け加えました。
このイベントは、来場者を大いに喜ばせただけでなく、アトレティコ・マドリーと南米を結ぶ強い絆を改めて浮き彫りにしました。1947年に初めて契約したアルゼンチン人DFホセ・アルベルト・バルディビエソから、最新加入のニコ・ゴンサレスに至るまで――これまでに120人を超える南米出身選手が、ロヒブランコのユニフォームに袖を通し、クラブの歴史を築いてきたのです。
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