敗戦が良いものであることは決してありません。ですが、あえて選ぶなら開幕戦での敗戦の方が良いのかもしれません。修正のための余地が十分にあり、ミスから学ぶことができるからです。
「私自身にとって学びがありました。そこから得られたものがあります。それを皆さんも目にすることになるでしょう」とシメオネ監督は認めました。
しかし、敗れ方から結論を引き出さなければならないのは彼だけではありません。チーム全体にとって反省を促す材料があるのです。そして結果によって“隠されてしまった”多くの良い点もありました。
ピッチにいた才能たち
シメオネ監督がはっきりと言葉にしたわけではありませんが、彼の反省は、アルマダの交代(前半終了時。警告を受けたことで、もともと予定されていた交代を前倒し。なお、カルドーソは代表戦で痛めた箇所を再び打撲しており、負傷を抱えていた状態でした)、そしてバエナ(疲労困憊し、試合後には大腿部にアイシングを施した)とフリアン・アルバレスがピッチを去った後にチームが“落ちてしまった”ことに関連していました。
確かに、まだ開幕戦ということもあり、選手たちのコンディションが90分間の全力プレーに届いていなかったのは事実です。ですが監督は、才能を持つ選手を極力ピッチから外すべきではないことをすでに理解しています。事実、彼にとって新しいアトレティコが進むべき道は、前半と後半序盤にバリオスが加わって実現された“三人のテノール”の連携にあるという確信があります。
セカンドユニットへの警告
シメオネ監督が暗にベストプレーヤーを下げたことを誤りとして認めた一方で、セカンドユニットも主力の良さを維持できなかったことで少し“疑問符”が付きました。バリオスは十分なプレーを見せましたが、他の4人の交代選手(コケ、グリーズマン、ラスパドーリ、セルロート)は流れを維持できず、主力と控えの間に“危険な”差があることを露呈しました。
実際、彼らの価値は本来、途中出場で違いを生み出すことにあります。ですから、これからはさらに歯を食いしばらなければなりません。
個人のミス
また、この敗戦を“悲劇化”すべきではない理由として、失点がチーム全体の崩壊によるものではなく、個々のミスによるものだったという点も挙げられます。
ジョレンテは不必要なドリブルから避けられたはずのファウルを犯し、ラスパドーリはルビオのマークを“許されざる油断”で失いました。同様に、2失点目の場面でのコケとグリーズマンの戻りの遅さは、かつての走力をすでに失っていることを示しました。さらに、ルッジェーリはクロスを上げる相手に広大なスペースを与えてしまい、不運にもペレ・ミジャが信じがたいシュートを放ちましたが、ル・ノルマンもまた強さを欠いていました。
ジュリアーノの代わり不在
ギャラガーやコケがバリオスやカルドーソとタイプが違い、ルッジェーリやラスパドーリ(デビュー前のプビルも含む)がまだ期待通りの実力を示せていない中、RCDEスタジアムでの試合はクラブのチーム編成にも“メッセージ”を残しました。
カルロス・ブセロがチームを刷新し若返らせた功績は疑いようがありませんが、右サイドには明らかに最後の補強が必要です。全力を尽くしてアトレティコで居場所を勝ち取ったジュリアーノには代役が存在せず、かつてはチームに“プラス”を与える存在だったのが、今では“不可欠”な選手となっています。競争できるドリブラー、さらには異なる選択肢を提示できる選手が必要です。
“悲観主義”は排除
敗戦は落胆を招きましたが、とりわけ希望を抱かせる前半1時間のプレーを考えればなおさらです。しかしクラブ内部では、この躓きを大げさに捉えるべきではないと明確に認識しています。
「良かった部分に私はしがみつきます」とシメオネ監督は試合直後に語りました。新戦力を多く加えたチームでは、ピッチ上での連携が定着するまでに時間がかかるのは当然です。それでも、バリオス、アルマダ、バエナ、フリアンの連携で世界を驚かせかけたプレー(最後はポストに阻まれたものの)は、すでに希望を抱かせるものでした。ボール支配とハイプレスを武器としたその姿が、新生アトレティコの未来を示しています。
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