リーノ、メトロポリターノに記憶を残さず退団

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サムエル・リーノがアトレティコ・マドリードに別れを告げました。フラメンゴはサム・リーノの加入を発表しました。彼はサウールに続いて、アトレティコのレジェンドであるフィリペ・ルイスの指導のもとでプレーすることになります。

昨シーズンは初年度ほどの活躍は見せられませんでしたが、リーノは悪い印象を残すことなくアトレティコを去ります。左サイドに適応し、カラスコの穴を埋める役割を果たしましたが、シメオネ監督の下で迎えた2年目のシーズンでは、さらなる飛躍を遂げるには至りませんでした。

アトレティコでの2シーズンで合計93試合に出場し、12ゴールと16アシストを記録しました(なお、契約初年度はバレンシアにレンタルされていました)。シメオネ監督が来季に5バックを再導入する可能性がある中で、リーノは左サイドを任され、重要な役割を果たしました。

25歳のリーノはEU圏外選手であり、その市場価値からも放出が現実的とされていました。今回の移籍でアトレティコは2,000万ユーロ超の収入を得ることができ、さらにティアゴ・アルマダ、ギャラガー、ナウエル・モリーナといった選手に3枠しかないEU外登録枠を割り当てることが可能となります。

リーノは「100試合出場選手記念の遊歩道」に名を残すための条件である100試合まで、あと7試合というところでアトレティコを去ることになりました。ヘイニウドは103試合で達成しましたが、リケルメは75試合で届かず。クラブはこの遊歩道に、選手の存在感ではなく出場試合数のみを基準としたことから、しばしば議論を呼んでいます。

ちなみに、ホルヘ・ラレナ、”セボジャ”・ロドリゲスの2選手は98試合で達成ならず。一方で、ヒビッチとヴルサリコはちょうど100試合で到達しました。ビトロ、バレラ、セルジ、リュクサンは101試合です。

歴代の偉大な選手の中にも達成できなかった者は多く、バルタサール、レイヴィーニャ、セティエンはリーノと同じく93試合。ファルカオは91試合で70ゴールを記録したにもかかわらず、達成ならず。ルイス・スアレス(83試合)やビジャ(47試合)も、タイトル獲得に大きく貢献しながらプレートは手にしていません。

アトレティコは当初この表彰の名称を「レジェンドの遊歩道(Paseo de las Leyendas)」としていましたが、統計的基準に基づいて「100試合出場選手の遊歩道(Paseo de los Jugadores Centenarios)」へと変更しました。いずれにしても、賛否を呼ぶ結果となることに変わりはありません。

リーノは、メトロポリターノに永遠に自身のプレートを残すまであと7試合というところでアトレティコを去ります。

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