アンヘル・コレアは、実は1年半前にすでにアトレティコ・マドリーを去る決断をしていました。当時はサウジアラビアからの誘いがありましたが、今回のように移籍の条件が整わず実現しませんでした。今回、ディエゴ・シメオネが残留を望んでいたにもかかわらず、彼はティグレス(メキシコ)でプレーすることを選びました。
2023-24シーズン冬の移籍市場では、アル・イティハドがアトレティコが要求する移籍金を支払えずに移籍が破談。その後から2025年夏までの間、コレアは出場可能だった83試合のうち先発はわずか20試合、24パーセントにとどまりました。10年間の通算では、先発率はほぼ倍の44パーセントです。
「自分がどうしたいかはすでに“チョロ”やクラブと話しました。尊重してくれて、ここでチームを助けるために自分のすべてを捧げたことを理解してくれています。いつも自分よりチームを優先してきました。わかってくれていますし、将来をどうしたいか自由に決めさせてくれました」と、コレアは4月末に『Los Edul』番組で語っていました。
「アトレティコとの契約はあと1年残っています。ミゲル・アンヘル(・ヒル・マリンCEO)とも話し、延長したいと言ってくれましたし、チョロも自分の働きに満足してくれていて、理解してくれて、何が自分にとってベストか決めろと言ってくれました」ともその時に付け加えていました。
今回、シメオネでさえも彼を引き止めることはできませんでした。1年半前には移籍を志し、当時はカリム・ベンゼマ、エンゴロ・カンテ、ファビーニョらが所属するアル・イティハドからの魅力的なオファーもあり、個人的な事情も重なってアトレティコでのキャリアを終える寸前でした。
結局は残留が決まりました。「そういう可能性はありました。そのことは監督ともクラブとも話しましたし、チームメイトも知っていました。母を亡くして数か月間つらい時期を過ごしていて、変化が必要だと感じていました。ですが結局移籍は成立せず、クラブに残って、自分を取り戻してチームを助けるつもりでした」と、2024年1月31日にメトロポリターノでのラージョ戦勝利後に語っていました。
「アトレティコの象徴」
今回は本当に退団します。通算469試合出場、228試合先発はクラブ史上5番目の出場数で、上にはコケ・レスレクシオン(684試合)、アデラルド・ロドリゲス(550試合)、ヤン・オブラク(495試合)、トマス・レニョネス(483試合)しかいません。88ゴール、62アシスト、そして3つのタイトルを獲得しました。2020-21シーズンには最終節で決定的なゴールを決めてリーガ優勝、2017-18にはヨーロッパリーグ優勝、2018年にはヨーロッパスーパーカップも制しました。
「アンヘルとは本当に率直で明確な会話ができる関係です。彼がどれだけ大事な存在かはわかっています。試合に出ても出なくてもたくさんのものを与えてくれました。だからこそ彼の幸運を願っていますし、メキシコのチームに行くことになっても、彼を獲得するクラブは素晴らしい選手を手に入れることになると確信しています」と、シメオネは6月23日、クラブワールドカップのボタフォゴ戦(1-0勝利)後にコメントしました。これがコレアにとってアトレティコでの最後の試合でした。
「アンヘルはアトレティコ・マドリーの象徴です。ファンからも愛され、彼への思い入れは強いです。献身、努力、才能、若くしてこのクラブに来て、それを自分のものにしてきました。いつも最高の形でクラブを代表してくれました。もちろん良い試合も悪い試合もありましたが、それでも常に責任感を持ち、相手を脅かそうという気持ちでプレーしてくれました」と、シメオネは5月にも、退団が現実味を帯びていた頃に語っていました。
「シーズンを通じて、先発でも途中出場でもプレーしてくれました。彼が与えてくれたすべてのものに本当に満足しています。特にその振る舞いと働きぶりには感謝しています。私がクラブに来て14年の歴史の中でも、彼はとても大事な存在の一人です」と、監督は付け加えていました。
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