ルッジェーリ、アトレティコの最新補強は「結果がまちまち」なイタリア人選手の系譜を継ぐ存在

この記事は約4分で読めます。

イタリア国籍の選手は、伝統的にアトレティコ・マドリーに多く在籍してきたわけではありません。それはおそらく、ボスマン判決以降までイタリア人選手たちが自国を頻繁に離れるようになったのが遅かったからでもあります。世界最高峰のリーグのひとつを自国内に持つという歴史的背景があり、スター選手たちが国外で活躍先を探す必要があまりなかったのです。

マッテオ・ルッジェーリは、アトレティコ・マドリーでプレーする9人目のイタリア人選手です。アトレティコは6月1日にこの若きイタリア人選手の獲得を発表しました。

「アトレティコ・デ・マドリーとアタランタは、22歳の若きイタリア人左サイドバック、マッテオ・ルッジェーリの移籍で合意に達しました。2023年6月30日まで当クラブと契約を結びます」とクラブは発表し、ルッジェーリの「正確なクロス」、「上下動の豊富さ」、「キャリアの大きなポテンシャル」を強調しました。

移籍金は固定1,700万ユーロ、変動300万ユーロを含め、合計2,000万ユーロに達しました。ルッジェーリはイタリア代表の各年代で計30試合に出場経験があり、A代表にも招集歴はあるものの出場はまだありません。アタランタでは昨季セリエAを3位で終え、公式戦109試合に出場しました。

若さを備えつつ、トップレベルでの豊富な経験も持つ選手ですが、同時にセリエAを離れて成功するという課題にも直面しています。というのも、過去にアトレティコでプレーしたイタリア人選手たちは、その活躍ぶりや適応が「まちまち」だったからです。理由は様々ですが、イタリア人選手の在籍期間は短いことが多く、輝いた例もある一方で、影も多かったのです。

アトレティコ最初のイタリア人たち
アリゴ・サッキやクラウディオ・ラニエリといったイタリア人監督の就任が、イタリア人選手たちの門戸を開きました。最初のパイオニアはクリスティアン・ヴィエリです。1997年にユベントスからアトレティコへ移籍し、当時スペインでは無名でした。移籍金は1,750万ユーロで、当時としては破格の金額でしたが、スペインでブレイクしました。わずか1シーズンで32試合29ゴールという驚異的な成績を残し、ピチーチ賞とゴールデンブーツを獲得しました。そのパワー、得点嗅覚、決定力でアトレティコ攻撃陣の象徴となりました。ただ、クラブとの別れ方が悪く、ファンの間では後味の悪さも残しましたが、間違いなくアトレティコ史上最も成功したイタリア人選手でした。

ヴィエリの後には、ジョルジオ・ベントリン、、ステファノ・トリーシといった選手たちが続きましたが、どれも短期間の在籍で、当時のクラブ全体の不振もあって成功は限定的でした。セレーナは右サイドバックとして1シーズンで約30試合出場し、一定の存在感はありました。

一方、ステファノ・トリーシはわずか17試合出場で、アラベス戦やCSKA戦での美しいゴールこそあったものの目立った活躍は少なく、やや派手なキャラクターが印象的でした。それでも、同時期にいたベントリンよりは試合に出ましたが、ベントリンの在籍はほとんど記憶にも残らない程度でした。

アルベルティーニ、アッビアーティ、そして失望のチェルチ
アトレティコが降格した後、ビセンテ・カルデロンで好印象を残したイタリア人もいました。デメトリオ・アルベルティーニです。「イル・メトロノモ」の異名を持つ彼は、ACミランからアトレティコがプリメーラに復帰したタイミングで加わりました。ベテランではあったものの、そのシーズンでは最も頼りになる存在の一人で、経験とリーダーシップ、クオリティを中盤にもたらしました。支配力こそ全盛期には及びませんでしたが、その戦術眼と視野の広さはチームにとって貴重でした。32試合出場、3ゴールを記録し、そのうち1つはベルナベウでの昇格後初のマドリードダービーでの劇的な直接FK弾で、ルイス・アラゴネス監督のチームに引き分けをもたらしました。

次にやって来たのは2007/08シーズンのクリスティアン・アッビアーティです。ACミランからのレンタルで30試合に出場し、レオ・フランコと交互にゴールを守りました。安定したパフォーマンスで、一定の評価を得ました。

そこから数年後、再びイタリア人に賭けたのがアレッシオ・チェルチです。2014/15シーズンにトリノから加入し、移籍金は1,600万ユーロでした。しかし、シメオネ時代最大級の期待外れとなりました。そもそも本人はアトレティコに来たがっておらず、クラブや街への適応にも失敗。トリノでの輝きは全く再現できず、わずか10試合1ゴール、ケガやレンタル移籍を繰り返し、完全な失敗例となりました。

ちなみに、イタリア代表としてプレーしたチアゴ・モッタも一応このリストに入れることはできますが、ブラジル生まれで、アトレティコ在籍時(07/08シーズン)は度重なる負傷に泣きました。残念なことに、PSG時代に見せたような素晴らしいパフォーマンスをアトレティコで発揮することは叶いませんでした。

コメント