かつてはクラシコよりも偉大なダービーだった!? マドリード・ダービーについて知るべき5つのこと

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スペインとヨーロッパのサッカー史上最強の2チームが拠点を置くマドリードでは、2チームがライバル同士、熾烈な魅力的な戦いを繰り広げている。多くの歴史があるこの試合について知られざる5つの秘話を紹介しよう。

1. アトレティコはレアル・マドリーを嫌った学生たちによって誕生した
マドリード在住のバスク人学生のグループは、1903年に行われたアスレティック・ビルバオと、後にレアル・マドリーとなるマドリーFCとの、初のスペイン国王杯決勝戦を観戦した。

彼らはマドリーFCのプレーを嫌い、18日後にマドリーにアスレティックの子会社を設立した…これが後にアトレティコ・マドリーとなる。

2. アトレティコはかつて14年間ダービー未勝利だったが、今は全く違う話になっている
1999年から2013年の間、アトレティコ・マドリーはダービー地獄に苦しんでいた。

レアル・マドリーとの25回の対戦で、アルゼンチン人の闘将ディエゴ・シメオネが監督になるまで、彼らは勝利することができなかった。

赤白ストライプのユニフォームを身にまとった「赤白軍団」を意味する「ロス・ロヒブランコ」が初めて勝利して以来、ダービーのバランスは変化し、それ以降行われた33のダービーのうち10勝し、11引き分け12敗している(全コンペティション)。

リーガ・サンタンデールでの成績は、18回のダービーで5勝5敗である。

3. シベレスの噴水で勝利を祝う伝統を始めたのは、レアル・マドリーではなくアトレティコファンだった
1970年代のスペインサッカー界では、街のある場所で所属チームのファンたちとタイトル獲得を祝うという伝統が生まれ始めた。

マドリーの中心部にあるシベレス噴水は、そのようなファンにとって理想的な場所とされている。

今日ではレアル・マドリーと密接な関係があるが、実はアトレティコファンが1977年のラ・リーガ優勝後に初めてシベレス噴水で勝利を祝った。

やがて他のファンも真似をするようになり、タイトル獲得を祝う場所となった。

1980年代を通して、レアル・マドリーのファンは象徴的なキンタ・デル・ブイトレ世代の勝利をここで祝ったのである。

1991年にアトレティコがコパ・デル・レイのタイトルを獲得した時には、シベレス噴水は既にレアル・マドリーと密接な関係を持つようになっており、アトレティコファンはお祝いの場所を市内のパセオ・デ・ラ・カステジャーナ通りから600m離れた、ネプチューンの噴水まで移動させることになったのだ。

4. かつてはエルクラシコより大きな一戦だった
現在、レアル・マドリーの宿敵はFCバルセロナだが、1939年にスペイン内戦が終結してからの数十年間は、マドリー・ダービーは今よりも大きなイベントだった。

かつて、レアル・マドリーの初代会長であるアルフレド・ディ・ステファノはこう言った。「FCバルセロナのことは忘れろ。我々を苛立たせるチームはアトレティコだ。」

5. アトレティコのコパ・デル・レイ優勝のうち、9回はベルナベウで行われている。
レアル・マドリーの本拠地サンティアゴ・ベルナベウスタジアムは、面白いことにアトレティコ・マドリーのファンにとって非常に特別な場所である。

スペイン国王杯では10回優勝しており、そのうち9回は宿敵のスタジアムで優勝している。

その10回の優勝のうち、1996年のFCバルセロナ相手の優勝だけがレアル・サラゴサのラ・ロマレダで行われたものになる。

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