シメオネ・アトレティコに訪れた別れの予感…取り戻さなければならない10年前の「信念」

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止まらない血
ここはアトレティコ・デ・マドリーのホームスタジアム、ワンダ・メトロポリターノ。2022年になってもゴール裏からは「オレ! オレ! オレ! チョロ・シメオネ!」のチャントが叫ばれ、それがスタジアム全体に響き渡っている。ただ残りのスタンドがそのチャントに呼応しているかと言われれば、そうでもない。別にディエゴ・シメオネを嫌っているというわけではないだろうし、大枠で捉えるならば彼には感謝しており、愛してやまないはず。しかし今のメトロポリターノには、何だか乗り切れないような雰囲気がある。嫌いになったわけじゃないけれど、もう別れた方がいいのかもしれない――同じベッドで寝ていても孤独を感じ、仕様がない別れを予感する恋人同士のように。

シメオネがアトレティコ監督に就任してから、ちょうど10年目に訪れた別れの予感。もちろん、そのきっかけは安定した結果が出なくなったことにある。今季のアトレティコは、クラブにとっての生命線であるチャンピオンズリーグ出場権の獲得すら危うい状況に陥っている。土壇場での逆転勝利など上昇気流に乗るきっかけとなりそうな勝利をつかんでも、次の試合になれば苦戦して失点して……流れる血は止まらない。シメオネの一喜一憂ぶりは毎試合凄まじく、世界一危険な感情のジェットコースターに乗っているようだ。

迷走
昨季のラ・リーガ優勝から一転して、今季に入ってから急激に落ち込んだように見えるアトレティコだが、昨季途中から今の姿を想像することはできた。

昨季序盤、シメオネは自チームのプレースタイルについて大きく舵を切った。従来の堅守速攻で引いて守る相手を崩し切るのに苦労をしていた彼は、以前から試みてはあきらめてきたポジショナルプレーを本格導入。それは明らかにかつてのスピードを失ったルイス・スアレス、「アトレティコのメッシ」にすべく1億2000万ユーロで獲得したジョアン・フェリックス、そのほかレアル・マドリー&バルセロナとの予算差を約2分の1(シメオネ到着前は4~5分の1)くらいまで近づけたことで獲得を実現してきた豪華攻撃陣を生かすためだった。

スタイルの切り替えは昨季序盤こそうまく行っていたものの、途中から限界が見え始めていたように思う。昨季後半戦には戦術が読まれるようになって失速し(うまく行っていたときにチームを牽引していたJ・フェリックスはよく潰されるようになった)、2強との差はどんどんと縮まっていった。それでも持ち前の不屈の魂でもって何とか逃げ切ってラ・リーガを制覇。そうして迎えた今季は……もう散々である。

まず、昨夏の陣容編成について。右サイドバックのキーラン・トリッピアーは当時から退団を求めていたものの、クラブはモチベーション関係なく無理やり残留させ、また左サイドバックはロディがほぼ戦力扱いだったにもかかわらず本職の選手を獲得せず。センターバックについては昨季途中から3バックシステムを採用しながらもホセ・マリア・ヒメネス、、ステファン・サビッチ、フェリペに続く5人目のセンターバックの補強をしなかった。前線についてはアントワーヌ・グリーズマンが取り戻せない場合に獲得するはずだったマテウス・クーニャを獲得し、しかし移籍市場最終日に結局グリーズマンも引き入れることになり、最終ラインとは真逆の出場時間とエゴの管理が極めて難しい“オーバーブッキング”を引き起こしている。J・フェリックス、グリーズマン、、クーニャ、L・スアレス……「クラブ史上最強の攻撃陣」と言えば聞こえはいいが、単純に多過ぎだ。

次にコンディションについて。ここ最近のアトレティコは相変わらず負傷が多い。負傷だけでなく、再負傷も。かつて名フィジカルコーチとして名を馳せたオスカル・オルテガの責任問題につながりそうなものだが、彼はクラブの仕事にもっと集中するどころか、今季途中から母国ウルグアイ代表のフィジコも務めるようになった。これに新型コロナウイルスを加えれば……満足に選手を揃えることなど到底無理な話である。そして選手の不在は確固たるプレーシステムの中では補うことだってできるが、現在のシメオネ・アトレティコでは難しい。むしろ中途半端なポゼッションスタイルの中で、(とりわけ守備の)選手たちはまるで迷子のようにパフォーマンスのレベルを落としている。「クラブ史上最強の攻撃陣」が現在ラ・リーガ3位となる得点数(45)を誇っていたとしても、その引き換えにかつてダントツで1位だった失点の少なさを12位タイ(34)まで落ち込ませては……あまりに不利益だ。

始まりの宣言
結局、今のシメオネ・アトレティコは「らしくない」ということではないのだろうか。ジョゼップ・グアルディオラの印象的な言葉がある。彼はバルセロナ指揮官時代、アトレティコ監督になる前のシメオネが見学に来たときのことを、次のように振り返っていた。

「私たちはフットボールについて語らい合った。彼は『これ(バルサのプレー)は好きじゃない。自分は感動しない』と言い、私は『いや、素晴らしいね』と返した。そう、つまりはそういうことなのさ。私のチームは私が望むようにプレーし、チョロのチームは彼が望むようにプレーする。フットボールはそうやって扱うべきなんだ」

その後、アトレティコに監督として帰還を果たしたシメオネは、就任会見で「自分にとっては15本のシュートを打ってノーゴールで終わるより、1本のシュートによって勝利を収めた方が素晴らしい。私が望むのはアグレシッブかつ強靭で、スピードを兼ね備えたカウンターのチームだ。それこそ私たちアトレティコの人間が愛してきたチームにほかならない。過去の歴史にあったものを今こそ取り戻そう」と言い放ち、この言葉通りのチームを構築して伝説を築き上げた。「あまりに守備的で、いつも1-0で勝つ退屈なチーム」という批判は絶えなかったが(今は真逆の批判を受けている)、しかし信念の堅守速攻を見せるアトレティコは嫌らしくも強かった。血と汗を流してプレーする様は感動すらも呼び起こした。

10年前の姿を
三つ子の魂百まで、なのだろう。ポジショナルプレーをするとしても、シメオネはグアルディオラ、またはチャビほどには信念と執心を持ち得ない。堅守速攻をするとしても、グアルディオラ、またはチャビはシメオネほどには信念と執心を持ち得ない。シメオネ本人も、そのことを改めて自覚しているように思える。この冬の市場ではトリッピアーの後釜ダニエル・ヴァスのほか守備力を売りとする左サイドバック、ヘイニウドも獲得。メインシステムを3-5-2から4-4-2に戻して、かつてのフットボールに立ち返ろうとしている。それは進化か、それとも退化なのか? 一戦必勝の哲学パルティード・ア・パルティード(試合から試合へ)だ。

シーズン途中に軌道修正をしてもどうにかなるのか? シメオネは10年前、シーズン途中にアトレティコ監督となり、攻撃的特徴が際立つチームに堅守速攻を植え付けて、ヨーロッパリーグ優勝などすぐに結果を出した(チャビがバルセロナ監督として、すぐさま良質なポジショナルプレーを実現しているように)。堅守速攻ではチャンピオンズ優勝までは届かない? 確かに2回決勝に到達しながら、どちらもレアル・マドリー相手に敗れた。が、勝敗を分けたのはセルヒオ・ラモスの93分の同点弾と、PK戦でのたった1本の失敗だった。少なくともここ最近よりは、優勝に限りなく近づいていた。

今、アトレティコを救える人物がいるとすれば、それは2011年12月末、前本拠地ビセンテ・カルデロンでの会見で「私が望むのはアグレシッブかつ強靭で、スピードを兼ね備えたカウンターのチームだ。それこそ私たちアトレティコの人間が愛してきたチームにほかならない」と言い切った、あの頃のシメオネ以外にいないのではないだろうか。ワンダ・メトロポリターノのサポーターは、堅守速攻以外は「アンチ・フットボール」と形容しそうな10年前のアルゼンチン人指揮官を、もう一度求めている気がしてならない。

「信じることを決してやめるな」はシメオネとアトレティコの有名なスローガンだが、今はどんなことあっても胸を張れる、信じられるチームと、彼らの熱がそのまま伝わってくるプレースタイルが必要なのではないだろうか。それは決して耽美的なものではなく、泥臭く血と汗にまみれたもの。努力をすれば、必死にもがけば、倒れても立ち上がれば報われることもあるのだと、人生にも通じる希望を見出すものだ。

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