クーマンvsシメオネ ラ・リーガの順位表は彼ら次第

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ロナルド・クーマンとディエゴ・パブロ・シメオネの何が際立っているとすれば、個性においてだろう。どんなに向かい風が吹いても、その状況を前に決して崩れない。彼らは、自分たちのサッカーのアイデアや主張には少なからず異なる価値観を持つが、表に立って説明するときには決して隠れない。8日(土)には、シメオネとクーマンが、自らが監督を務め、指揮する両チームの将来を左右する重要な試合で顔を合わせる。

“チョロ”・シメオネのチームが2ポイントリードしてカンプ・ノウにやってくる。勝ち点をもぎ取るために最も保守的で熟成したバージョンのアトレティコを見ることになるだろうが、それには大きな危険が伴う。なぜなら、この試合で引き分け、もしレアル・マドリーが翌日、勝ち点70で4位につけるセビージャとの試合に勝利すれば、ジダンのチームは街のライバルとの直接対決の結果(2-0/1-1)で首位に躍り出るからだ。

■給与の問題
今回のバルサ対アトレティコの偉大な主役のうちの2人は、我々が見ることができるであろうスペクタクルな展開の中で、多くのことを語ることになるだろう。アトレティでは「チョロ」がどの選手よりもスターであり、バルサではレオ・メッシを圧倒する選手はいない。(実際、シメオネはアトレティコのどの選手よりも多くの給与を受け取っている。一方、クーマンの給与は、チームの多くの選手よりも低い)

クーマンはシメオネよりも7歳年上だが(58歳と51歳)、彼らが指揮した試合数は非常に近い。オランダ人が724試合、アルゼンチン人が712試合。選手時代のスタイルは、疲れ果てるまで出し切る激情型。1人はセンターバックで、もう1人はボランチ。タフで、何シーズンもキャプテンマークを巻いたリーダーで、アルゼンチン人の流派は、ストリート、個人の才能、狡賢さであり、オランダ人の流派は、トータルフットボール、連想的、芸術性の高いものであると言える。

■ダイナミズム
1月までのアトレティコが、勝ち点を落とすことがほとんどない完璧なマシーンだったとしたら、2月からは何かが壊れた。メトロポリターノで行われたセルタ・デ・ビーゴ戦での2-2の引き分けが引き金となり、流れが変わるきっかけとなった。チームは規則性と新鮮さを失い、止まることなくつまずき始めた。チームに疑念を抱かせただけでなく、ライバルに翼を与えてしまったのだ。12月に事実上の白旗を上げ、国内優勝を不可能だと考えていたバルサに与えたように。

「リーグ優勝は非常に難しく、自分たちをごまかすことはできない。大きな勝ち点差があり、アトレティコはミスを犯さない」
これは約5ヶ月前のクーマンの言葉だ。しかし、何もかもが変わった。

■これまでの歩み
クーマンは、監督としてのキャリアを通じて、自分の人生のチームを指揮するに至るまで多くの苦労をしなければならなかった。ウェンブリーでバルサに史上初の欧州チャンピオンズリーグ(CL)のカップをもたらした彼の姿は、バルセロニズムの心に尊敬の念を抱かせる。しかし、だからといって先に述べたように、この大きなチャンスにたどり着くまでにさまざまな紆余曲折があったことは否定できない。母国リーグでの成功、怒りに震えたバレンシア時代、代表監督としての働き。クーマンはカンプノウのベンチでの経験を最大限に生かしている。

一方、シメオネはアトレティコファミリーの象徴である。彼だけが、歴史的に悲観主義に陥っていたクラブ全体のメンタリティを変えることができたのだ。選手と指導者としてもアルゼンチンでスタートし、イタリアとスペインサッカー界で得た経験“チョリズム”こそがアトレティコの特徴である。彼がそれに終止符を打つ決断をするまで。

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