フットボール界を悲しみに包んだマラドーナ氏の訃報について、アルゼンチン代表の後輩であり、1992-93シーズンにセビージャでともにプレーした過去を持つシメオネ監督も口を開いた。シメオネ監督は25日のチャンピオンズリーグ・グループA第4節、ホームでのロコモティフ・モスクワ戦(0-0)終了後の会見で、次のように語った。
「辛く、難しいことだ。彼と日々をともにしたすべての人と同じだよ。神話的な存在が、逝ってしまったんだ」
「私たちはディエゴがフットボールをプレーし始めた頃に生まれ、彼こそがフットボールの導き手だった。ディエゴ・マラドーナはアルゼンチン人であり、フットボールそのものであり、そして反逆の精神の持ち主だった。彼はセビージャで、若かった私のことを気にかけてくれて、夕食にも誘ってくれた。今日、ディエゴは去ってしまった。が、どこにも行っていないとも言える。あらゆるフットボールのピッチに、彼は存在し続けるのだから。ディエゴは世界最高の選手だったし、今もなお世界最高だ」
「電話が鳴って、ディエゴが死んだと言われても、ディエゴが死ぬことはないと考えてしまう。伝説が、私たちを残して逝ってしまった。彼は常に反逆の精神を伝えていたアルゼンチン人で、ポジティブなことのほか、ネガティブなことでも闘い続けた。とにかく、いつだって前へ進もうとしていたのが彼だった。私たちのフットボールのプレー方法は、彼を目にしていたことがベースとなっている。私に、アルゼンチン代表として持つべきセンチメントを決定付けたのもディエゴだった」
「人間はいつでも、どこかに出かけることができる。しかし今回、彼はそうすることに失敗している。私は、彼が私たちとともにいると感じている。……大きな悲しみを覚えているし、空っぽになったみたいだ」
なお、シメオネ監督とマラドーナ氏の出会いは、シメオネ監督が現役時代、初めてアルゼンチンを離れたピサ時代(1990-92)まで遡る。初めて顔を合わせたのは、マラドーナ氏が所属していたナポリとの一戦だった。シメオネ監督は自伝の中で、出会いの瞬間をこのように描写していた。
「ピッチに入る前、私たちはトンネルの中で待機していたが、ディエゴの姿はまだそこになかった。彼はキャプテンで、自チームの列の一番前にいなくてはならないのに、最後にやって来て一人ひとりと挨拶を交わしていった。その威厳を誇示するかのように。ディエゴの歩き方は選手のそれではなく、何か異質だった。近付いてくる彼は、そのゆったりとした足取りから威厳や意思の強さといったものを伝えていたのだった。彼は私にも挨拶をしてくれ、そしてピッチ内では侮辱の言葉を投げかけてきた。試合の前半、私がタックルを仕掛けたことで」
そしてセビージャでシメオネ監督はマラドーナ氏とチームメートになるわけだが、同指揮官の自伝によれば、それはまるで「夢のような出来事だった」という。シメオネ監督にとって、マラドーナ氏は子供の頃からの憧れというだけでなく、自身のフットボール観を形づくった一人であったようだ。
「ディエゴについて悪く言う仲間を持ったことなどない。彼は本当に、素晴らしいチームメートだった。私には決して忘れることのできない彼に関するいくつもの思い出がある。その思い出は自分が成長を果たす上で、とても大切なものだった」
「ディエゴと一緒にピッチに立てば、チームのパフォーマンスが良いか普通か悪いかに依存せず、何かが起こると感じられたのだ。試合の状況に関係なく、彼が素晴らしいプレーを見せれば、それは勝利に直結した。彼はたった一つのプレーで、悪い流れを一変させられたのである」
「ディエゴはそうした芸当をやってのける選手が限られていることを伝えていた。彼が一緒であればいつも勝利を手にできた。それはありふれた言葉にも思えるが、しかし実際に彼が有する力は、現実を一変させられるというライバルが持ち得ない手札だった」
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