父親の失踪という過去を経て――。L・エルナンデス、幼少期やシメオネ、アトレティコを大いに語る

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バイエルン・ミュンヘンDFリュカ・エルナンデスが、インタビューに応じた。

12歳の時に弟のテオ・エルナンデス(現ミラン)と共にアトレティコ・マドリーの下部組織に入団。18歳となった2014年にトップチームデビューを果たすと、メキメキと力をつけ、その2年後にはチャンピオンズリーグ決勝を経験。センターバックと左サイドバックをハイレベルでこなす彼はチームに欠かせぬ存在となり、2018年にはヨーロッパリーグ王者に輝いた。そしてその夏、フランス代表としてロシア・ワールドカップを制し、世界の頂点に立った。

23歳にして多くの成功を掴んできた彼だが、その道のりは平坦ではない。幼少期の頃に突然父親が姿を消し、苦しい少年時代を送っている。

そんな彼はインタビューで、父親の失踪と母親への愛、ディエゴ・シメオネ監督との秘話やバイエルン・ミュンヘンへの移籍に至るまで、多岐にわたって赤裸々に語ってくれた。

――リュカ、あなたの父親ジャン=フランソワもプロのフットボーラーでしたね。子供の頃に家族を残して突然姿を消し、それ以来連絡がないと聞きました。父親がいなくなった時の記憶はありますか?

父がいなくなってからすぐに、母と弟と僕の絆は強くなったよ。テオと僕は朝、昼、晩いつでもフットボールに明け暮れていた。常に一緒にプレーしていたよ。弟はベスト・フレンドと呼べるくらい、とても仲が良かったんだ。

今となっては、なぜ父が去ったのかを知ることはできない。とにかく母がここまで育ててくれた。働いて生活を支え、僕たちにすべてを与えてくれた。何一つ不自由はなかったんだ。今ではテオも僕もプロになれたし、母も落ち着いて、少しは自分の人生を楽しめるようになったんだ。

――父親が突然あなたの前を去った後、何が起きていたのか理解できましたか?

少し経ってから、母が事実を教えてくれた。両親は別れたんだ。ある日、突然父はいなくなって、それ以来音信不通だよ。もちろん子どもに父親がいないというのは少し複雑さ。だけど母は、とても上手に母親と父親両方の役割をこなしてくれた。僕と弟は、ちょっと普通ではないけど素晴らしい幼少期を過ごしたんだ。

――連絡しようとしたことはありますか?

いや、したことはないよ。確かに幼い頃は、父がどこにいるのか気になったし、事実についてもっと知りたいと思っていた。だけど時が経つにつれて、その思いは小さくなっていったんだ。大人になってからは、それよりももっと自分自身のことや、自分の人生について考えるようになった。そして最終的には、父は僕たちを愛していなかったから去ったのだということが、自分の中でクリアになったんだ。もし父に愛がなかったのであれば、出ていってくれてよかったとすら思っているよ。

――最後に連絡を取ったのはいつでしょうか?また、現在どこにいるのかご存知ですか?

(父が去った)当時は5、6歳で、今は23歳になった。つまり16~17年の間、父とは音信不通のままということになるね。

父がどこにいて、何をしているのか、まだ生きているのかさえも知らないんだ。音信不通の間に、僕自身は小さな家庭を築いたよ。今でも父が連絡してこないのは、おそらく興味が無いからか、単に僕たちの輪に加わる気になれないからじゃないかな。

――辛い状況の中、あなたの祖父が家族を大いに助けてくれたと聞きました。

僕たちが家を持ち、学校にも行けるように祖父母が経済的な支援をしてくれたよ。祖父のことを父親のように、そして祖母のことを第二の母親のように感じるのはそういう理由があるからなんだ。彼らは最大限の経済的なサポートを惜しまず、すべてにおいて僕たちを本当に助けてくれたんだ。

プロ入りに確信を持ったことはなかった

――その後、あなたたち兄弟は母親や祖父母のサポートもあってフットボールを始めますね。マドリード北西部のラージョ・マハダオンダでキャリアをスタートさせました。

そうだね。僕たちが住んでいた地区のクラブだった。それから、弟はアトレティコに引き抜かれ、6カ月後に僕も後を追うことになった。

――弟が11歳の時にアトレティコへ加入することになった時、どのような心境だったのでしょうか?

とても嬉しかったよ。だけど、こうも思った。「いつか自分もそんな素晴らしいクラブでプレーできたら…」ってね。だからクラブから興味を持ってもらうために、より一層努力を重ねたよ。そしてそれから6カ月後、ユース部門のトップが母のところにやってきて、アトレティコはテオのお兄さんが欲しいと思っていると告げたんだ。

――いつ頃からプロになれると感じていましたか?

確信を持ったことはないよ。16か17歳のときに初めてフランス代表に帯同したとき、自分のクオリティに少しだけ自信を持つことができた。そのくらいの年の頃に、初めていつかプロと一緒にトレーニングできるかもしれないといった大きな希望を抱いたよ。

――なぜ確信を持つことができなかったのでしょうか?

まだ若かったし、アトレティコでは周りは優秀な選手ばかりだった。だから疑問に思っていたよ。「他の選手ではなく自分が成功すべき理由はあるのか?」ってね。本当にたくさんの素晴らしいプレーヤーたちがいたんだ。プロになるためには力強く、忍耐力を持ち、そして何よりも運を持っていなければならない。そして幸運にも、自分はすべてを持っていたんだ。

シメオネという父親

――18歳だった2014年にアトレティコのセカンドチームで、セグンダ・ディビシオンB(スペイン3部相当)の試合でデビューしました。ディエゴ・シメオネ監督の下でしたね。彼にはどんな印象を持っていましたか?

クラブでも大きなリスペクトを受けている彼には、心からの尊敬の念を抱いているよ。特別なキャラクターの持ち主であることは一目瞭然だ。初めてのトレーニングのとき、僕はまずいパスを出さないようにとすごく集中していた。初めて彼の下でプレーしたときはプレッシャーを感じたし、震えてもいたよ。自分自身に「これはチャンスだ。良いプレーを見せなければならない。もし成功できなければ、スタートを切る前に見切りをつけられることだってあるんだ」と言い聞かせていたからね。幸い僕はとても良いプレーができて、プロと一緒にトレーニングを続けることができたんだ。その場に馴染めているとは言えなかったけどね。

――シメオネ監督は非常にアグレッシブなディフェンスの選手でした。あなたは、ある意味では典型的なシメオネのメンタリティをコピーした選手と言えますか?それとも、それは言い過ぎ?

今よりもまだ若い頃、僕はいつでもアグレッシブで、揺るぎない意志を持っていたよ。だけど、シメオネはそれ以上だった。彼のメンタリティは、すべてのトレーニングのすべての瞬間に表れるんだ。自分自身と彼は比べ物にはならないけど、僕も勝利にこだわっているし、負けるのは大嫌いだ。そういう意味では、すでに少しは彼のメンタリティを受け継いでいるんじゃないかな。

――シメオネ監督がタッチラインで激しい身振りや叫び声を上げているのを見ると、何かに取り憑かれたような人物であると印象を受ける人もいるかと思います。プライベートの彼はどんな人なのでしょう?

まったく違っていて、とても楽しい人間なんだ。なんでも話せるし、からかったりもできるよ。彼もかつてはフットボーラーだったから、選手にとても近い存在なんだ。アトレティコは、父親がシメオネである小さなファミリーのようだね。たとえば食事のときは好き勝手やっても許されるけど、真剣なときは真剣だ。僕にとっては最高の監督だよ。

――彼について印象的なエピソードを教えてください。

たくさんあるよ! たとえば去年ヨーロッパリーグを制したとき、彼は選手たちと一緒にナイトクラブに行って祝杯をあげたんだ。あれは素晴らしい瞬間だったよ……。それ以上は話せないけどね。

――2018年夏はあなたにとっても特別でしたね。フランス代表としてワールドカップを制し、父親にもなりました。あなたの人生にどのような影響があったのでしょうか?

大きく変わったよ。世界王者になれるなんて、信じられないほど嬉しかった。それは獲得できる最大のタイトルなんだからね。でも、父親になるのはより大きな出来事だった。本当に感情的な瞬間だったよ。

移籍金のプレッシャーはなし?

――2019年の夏、下部組織から長い間過ごしたアトレティコを離れ、ドイツ王者バイエルン・ミュンヘンに移籍しました。現在、ドイツでの生活はどう感じていますか?

ここでの生活は、スペインとは全く異なるよ。何よりも、まず食事の時間が早いね。マドリードでは14:30~15:00に昼食を取って、夕食は22:30頃だった。僕が最近オクトーバーフェストに行った時、みんなは18:30とか19:00にはディナーを取っていたよ。その生活に慣れないといけないね。まだちょっと遅いけど、少しずつは早くなっている。でも、まだディナーは21:30とか22:00になってしまう。早い時間にしていかないと。

――あなたは8000万ユーロ(約99億円:当時)の移籍金でバイエルンに加入しました。これはブンデスリーガ史上最高額となります。この金額について、あなたは誇りに思いますか?

何よりも、幼い頃に僕が母と弟と共に経験した境遇を考えると、クラブがそこまで大きな金額を自分に提示してくれたことは、心から誇りに思う。だけど誇りと同時に、責任感も感じているんだ。近ごろ移籍金というものは、どんどん大げさになっているからね。クラブは信じられないほどの額を支払っている。この数字に、クラブの僕に対する信頼が表れているんだ。最大限の力を発揮して、ピッチの上でそれを還元できるかどうかは自分次第だ。クラブにも、いつかこれだけのお金をつぎ込んだことを誇りに思ってもらわないといけないね。

感情が高ぶったマドリード・ダービー

――今シーズンのアトレティコについて、どのような印象を持っていますか?

スペインリーグには、いつでもバルセロナとレアル・マドリーがいるから非常に難しい。並外れたビッグクラブが2つも存在しているんだ。だけど、アトレティコは良い補強をしたと思うし、素晴らしいシーズンになることを願っているよ。バルセロナとレアルはちょっと別格だけどね。

――スタイルは変わったと思いますか?

いや、変化はないよ。シメオネは新戦力を上手に融合させられるし、どのように起用したいのかも分かっている。まず選手たちは、このスタイルに慣れなければならない。最初は分からないことがたくさんあるだろう。だけどそれに慣れれば、とても良いチームであると実感できるはずだよ。

――アトレティコとレアルのダービーは、なぜ特別なのでしょう?

最高だね。ファンにとっては、シーズンの中で最も熱くなれるゲームだ。彼らはこの試合のために生きているんだ。マドリードに暮らす人々は、誰もがフットボールを生きがいにしている。アトレティコのファンは特にそうだね。彼らはクラブのことを愛してやまないんだ。そして、こうしたゲームでプレーしたいから、みんなフットボーラーを目指すんだ。ファンたちの最高に熱い感情を引き出すことができるんだからね。

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