アトレティコにとってのマドリード・ダービー~金では手に入らないもの~

この記事は約4分で読めます。

今でも10年前でも1世紀前でも、ダービーはダービーだ。アトレティコとレアル・マドリーの間に横たわるライバル意識はおよそ100年前から存在している。そして、この先も続いていくことだろう。

マドリードを二分する白と赤のダービーマッチは、スペインサッカーの華であるクラシコ(レアル対バルセロナ)に及ばないと考える者もいる。一昔前まで「他に匹敵する大一番がない」という時代は確かにあったものの、カンプ・ノウが取った賢い決断とビセンテ・カルデロンが行ってしまった誤った戦略により、時代の流れが変わったのだ。

おおよそ30年前のことだろうか。以降、バルサとアトレティコの地位は逆転してしまった。

だが、特に歳を重ねた元選手たちはここ何十年の間、ラ・リーガにおいてブランコ(レアル・マドリーの愛称)の優位に疑問符を投げかけてきたのが、他ならぬロヒブランコ(アトレティコの愛称)だったことをよく覚えている。

記録だけを見ればマドリーに分がある。

1913年に行われた初対戦ではマドリーが2-0で勝った。通算成績でも276戦145勝と、この“白い巨人”が優勢だ。

しかし、だからといってアトレティコの牙が抜かれたわけではない。彼らは永遠のライバルを打ち負かす夢を常に持ってピッチに立っている。リーガだろうが、コパ・デル・レイだろうが、チャンピオンズリーグだろうが、同じことだ。シーズンの目標がどうとか、そんなことは関係ない。

ダービーになれば目的はただ一つ。ライバルの息の根を止めて白星をつかむこと。

それだけを目指し、アトレティコの選手たちは戦場に足を踏み入れるのである。

■金では手に入らないもの

スペインの首都決戦はまるでジェットコースターのような歴史を持つ。どちらかが5シーズン連続で無敗を続けた後、その逆が起こったりする。

特に20世紀末から21世紀初頭までの戦歴は特筆すべきものだろう。当時のアトレティコは2部に降格するなど、まさしく暗黒期にあった。100人あまりの選手が、ダービーの勝利を知らずにチームから去っていったのだ。

その期間は1999年から2013年にまで及んだ。ジミー・フロイド・ハッセルバインクの2得点とホセ・マリのゴールで勝利を手にしたのを最後に、14年もの間、白星をつかめなかった。しかも皮肉なことに、そのシーズン、アトレティコは2部に降格した。

しかし、それももう過去の話だ。

マドリーに何をやっても勝てないという負の連鎖は最高の舞台で終わりを告げた。2013年5月17日、サンティアゴ・ベルナベウで行われた国王杯決勝でディエゴ・シメオネ監督率いるアトレティコはジョゼ・モウリーニョ監督時代のマドリーをとうとう撃破した。ジエゴ・コスタの同点弾で延長戦にもつれ込んだ勝負は、ミランダのゴールで決着がついた。積年の呪いは解け、今やその残りかすすらほとんどなくなっている。ここ数年のダービーは大会を問わず、拮抗した戦いになっていることでも分かっていただけるだろう。

ただし、マドリーにとって会心の、アトレティコにとって痛恨となったのは、歴史的に最も重みを持つ2度のチャンピオンズリーグ決勝が同じ結末を迎えたということだ。まずはリスボン、次はミラノ。どちらもトロフィーはサンティアゴ・ベルナベウの陳列ケースへ運ばれることになった。あの2度の痛みは、アトレティコにいつまでもつきまとっていくだろう。

しかし、繰り返しになるが、だからといってロヒブランコがピッチに突っ伏したまま、起き上がらないわけがない。起き上がらずに、いられるはずがない。彼らとビセンテ・カルデロンに詰めかけるファンたちは、チャンピオンズリーグ決勝で無念を晴らすことを望みつつ、目の前に控えるダービーに思いを馳せている。

互いのプレーぶり、勝ち点3、そして次の対戦まで続く「永遠のライバルを打ち負かした」という優越感……。ダービーで勝利を手にするいうのは、お金では手に入らないいくつもの戦利品を得られることを意味する。

アトレティコからすれば、うっとうしい隣人のリーガ制覇にストップをかけ、首位との距離を縮められるという楽しみもある。そうなれば残り少なくなったリーガの戦いは、よりエモーショナルなものとなるだろう。

フェルナンド・トーレス、、ガビといったユース組織出身の選手たちの体にはロヒブランコの血が流れている。全精力を尽くして勝利を追求し、3位確保という最低限の目標に少しでも近づく……いや、それ以上のことができないと、一体、誰が言えるだろうか!

コメント