元エスパニョール会長のフリオ・パルド・パドロス氏が、元アトレティコ・マドリーFWパウロ・フットレ氏による八百長の告白を一蹴した。スペイン『アス』が伝えている。
フットレ氏はポルトガル『レコルド』に対して、1990-91シーズンのリーガ最終節エスパニョール戦を前に、アトレティコの故ヘスス・ヒル前会長から試合に負けることを要求されたと告白。J・ヒル前会長からは、当時のエスパニョール会長であったパドロス氏と八百長及び一選手の移籍について合意に至っていると説明されたという。
しかしパドロス氏は、J・ヒル前会長とそのような合意はなかったことを強調。フットレ氏の発言を虚偽のものとしている。
「その記事を読んだ際には、まず驚きを感じた。その後に笑ってしまったよ。20年以上が経った後にそんなことを口にするなど、支離滅裂としか言いようがない。その試合で我々が決めたゴールは、その節のベストだった。フットレがそのようなことを言う意味が分からない」
アトレティコはそのエスパニョール戦を1-3で落とし、エスパニョールは1部残留を確定させた。代わりに、カディスに1-2で敗れたサラゴサがムルシアとの昇格・降格プレーオフを戦うことになったが、2戦合計5-2でこちらも残留を果たしている。
「(政治家でもあった)ヒルの政治的思想に言及はしたくないが、彼はとても人間的であり、我々は素晴らしい関係にあった。ただ、確かに我々は降格の可能性によってナーバスになっていたが、そこまで悲劇的な状況でもなかったんだ。我々は良いチームだったし、降格はしないと確信していたよ。それにプレーオフを戦ったサラゴサは、ムルシアを相手に5点を決めて残留を果たしている」
アトレティコがその試合を終えた後にエスパニョールから獲得したのは、選手ではなく監督の故ルイス・アラゴネス氏だった。
「あのシーズンの半ばには、(当時のレアル・マドリー会長)ラモン・メンドーサがアラゴネスの招へいを目指して巨額のオファーを提示してきた。彼は(スペインサッカー連盟会長アンヘル・マリア・)ビジャールに対して、シーズン途中の監督交代を認めるよう相談してもいたよ。だが、その試合の前後に、アラゴネスがアトレティコと約束を交わしたことは認知していない。我々はそのような話を何もしていなかった」
コメント