セードルフとシメオネ、現役時代の名勝負8選

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UEFAチャンピオンズリーグ・ベスト16では、ACミランとクラブ・アトレティコ・マドリーの初対戦が実現。指揮官として初めて対決するクラレンス・セードルフ、ディエゴ・シメオネの両監督だが、選手としては旧知の間柄だ。UEFA.comが記憶に残る両者の名勝負を振り返る。

1997年6月14日:レアル・マドリーCF 3-1 クラブ・アトレティコ・マドリー
セードルフとシメオネ、両選手の初対決は1996-97シーズンの最終節の一つ前の試合で、シメオネがプレーするアトレティコが、スペイン・リーガで首位を走るマドリーを阻止しようと挑んだダービーマッチだった。2位のFCバルセロナからの猛追をものともせず、メレンゲス(レアル・マドリーの愛称)はダイナミックなプレーで地元のライバルを圧倒。この試合でセードルフは巧みなスルーパスを送り、これを受けたプレドラグ・ミヤトビッチが独走し、快勝を決定づける3点目をマークしている。結局このシーズン、マドリーはそのまま通算27回目のリーガ優勝を達成した。

1998年9月19日:レアル・マドリーCF 2-0 FCインテル・ミラノ
1998 FIFAワールドカップ準々決勝ではセードルフの属したオランダが、シメオネを擁するアルゼンチンに2-1で勝利。ただしセードルフはベンチ入りしたものの出場機会はなく、ピッチ上での直接対決はなかった。そして、続く1998-99シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグ・グループステージで二度、両者の対決が実現。シメオネは前回の対戦の後、インテルに移籍。1997-98シーズンにはUEFAカップを獲得していたが、今度もセードルフには歯が立たず。終了間際にこのオランダ代表MFにダメ押し点を決められ、前季の覇者マドリーに敵地で0-2と屈した。

1998年11月25日:FCインテル・ミラノ 3-1 レアル・マドリーCF
前回の対決から2カ月後、敵地サン・シーロに赴いたセードルフはニアサイドで強烈なヘディングシュートを叩き込み、イバン・サモラーノの先制点を帳消しにした。しかし今回、最後に笑ったのはシメオネの方だった。この試合は後半残り4分からロベルト・バッジョが立て続けに2ゴールを決め、インテルが3-1と勝利。結局、グループCからはこの両チームが勝ち進んだものの、両者ともに準々決勝で敗退している。

2000年3月11日:SSラツィオ 2-2 FCインテル・ミラノ
シメオネは1999年にインテルからラツィオに移籍。この年の12月、今度はセードルフがネラッズーリ(インテルの愛称)に加入したが、ちょうど入れ違いとなり、両選手が同じチームでプレーすることはなかった。イタリア・セリエAでの初対決はインテルの2点目をアシストしたセードルフに軍配が上がった。この場面、セードルフは狙いを外したクロスを拾うと、ルイジ・ディ・ビアージョにパスを通した。シメオネは後半、ファブリツィオ・ラバネッリと交代。試合はその後、ラツィオが終盤の2ゴールで追いつき、勝ち点1をもぎ取った。このシーズンは結局、ビアンコチェレスティ(ラツィオの愛称)が勝ち点1差でユベントスを振り切り、スクデットを獲得している。

2000年4月12日/5月18日:SSラツィオ 2-1 FCインテル・ミラノ(2試合合計)
前回のセリエAでの対決から約1カ月後、両者はコッパイタリア優勝を懸け、再び相まみえる。2試合制の決勝を2-1で制したのはラツィオで、3ゴールはすべて、スタディオ・オリンピコでの第1戦で生まれた。この見どころの多い決勝初戦で、セードルフとシメオネはいずれもゴールをマーク。インテルはセードルフの至近距離からのシュートで先制したが、ラツィオはパベル・ネドベドのゴールで1-1としたのち、シメオネの果敢なダイビングヘッドが決まって逆転。これが結局、2試合通じての決勝点となった。

2000年9月8日:SSラツィオ 4-3 FCインテル・ミラノ
前季のコッパイタリアのリベンジを誓ったセードルフのネラッズーリだったが、ローマでのイタリア・スーパーカップでまたしても敗北。一方この年、驚異的な躍進を見せたラツィオは、さらなるタイトルを獲得した。意気高くこの試合に臨んだインテルは早々に先制したが、シメオネのいるラツィオはほどなく試合を支配、圧倒的な攻撃で3-1と逆にリードを奪う。アルゼンチン代表のシメオネは自らもゴールに迫るが、インテルの守護神マルコ・バッロッタのスーパーセーブに阻まれ、得点者に名を連ねることはできなかった。セードルフが持ち前の創造性を発揮したインテルも1点差にまで迫ったが、及ばなかった。

2001年1月21日:SSラツィオ 2-0 FCインテル・ミラノ
この試合、シメオネは1点をリードした後の56分に途中出場する。中盤を固め、6歳年下のセードルフをマークするというタスクを課されたシメオネは、見事にその役割を果たした。結局、ラツィオは5位のインテルとは勝ち点18差をつけ、このシーズンを3位で終えている。

2002年5月5日:SSラツィオ 4-2 FCインテル・ミラノ
セリエA最終節、ラツィオに2-4と敗れてスクデットを逃した試合を、セードルフはベンチから見守った。ネラッズーリは残り5試合の時点でユベントスに勝ち点6差をつけて首位に立っていたが、シーズン終盤に失速。このリーグ最終戦も落として痛恨の首位陥落となった。一方、ラツィオは2-2で後半に入ると、32歳になっていたシメオネがパワフルなヘディングでチームの3点目をマーク、試合の流れをたぐり寄せた。この勝利でラツィオは土壇場でUEFAカップ出場権を獲得。逆にインテルはユベントスにスクデットをさらわれた。この試合を最後にセードルフはインテルを去り、同じミラノに本拠を置くACミランへ移籍した。

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