5月17日に行われたスペイン国王杯決勝にて、アトレティコ・マドリーは13年以上にわたって続いたマドリーダービー未勝利の歴史にとうとう別れを告げた。近年のクラブ史において最も重要な出来事となったこの一戦は、首都マドリーを本拠地とするライバルとの関係を変えるために必要な、勝たなければならない一戦だった。
クロス・ゴメス主審が試合終了を告げるホイッスルを吹いた瞬間、“コルチョネロス(=マットレスメーカー。アトレティコの愛称の1つ)”を支持する多くの人々の頭には、あの有名なクラブCMのいちフレーズが頭をよぎったことだろう。
「パパ、なんで僕らはアトレティ(=アトレティコの愛称の1つ)なの?」
それはクラブが迷走し、チームが敗れるたびに落胆する家族を見続け、学校ではクラスメートから受けるひやかしにうんざりしてきた少年が発した一言だった。
低迷期からの復活、ヨーロッパに衝撃
1970年代の半ば以降、アトレティコは才能ある選手を多数集めながらも結果を出すことができず、危機をわたり歩く低迷期を過ごしてきた。
74年のチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)決勝。アトレティコはミゲル・レイナの取りこぼしによってバイエルン・ミュンヘンに与えた土壇場の同点ゴールにより、ヨーロッパで初めてのタイトルを手にするチャンスを逃した。あの敗戦以降、マドリー南部に流れるマンサナレス川には不幸な運命が流れ続け、その周辺に住む大衆層のアトレティたちは“プパス(ついてない男)”というあだ名を受け継いできたのである。
ヒル家が大株主となった1990年代以降はクラブの経営体制が混迷を極めた。特に元マルベージャ市長でもある故ヘスス・ヒル氏が会長時代には、強化プロジェクトが毎年のように変化し続けた結果、世紀末には2部降格に伴う2シーズンの“地獄”を経験するに至った。
その後チームが少しずつ成長の兆しを見せはじめたのは、セルヒオ・アグエロ、ディエゴ・フォルランといった選手を獲得し始めたころからだ。キケ・サンチェス・フローレスの指揮下で2009−10シーズンに初のヨーロッパリーグ(EL)と10年にUEFAスーパーカップを勝ち取ると、飛躍の時は世界最高のストライカーの1人であるラダメル・ファルカオの獲得、そしてディエゴ・シメオネの監督就任とともに訪れた。
方向性を見失い、中位をさ迷っていたチームのメンタリティーを変えるべく、シーズン途中に就任したシメオネがまず着手したのは失点をゼロに抑えることだった。そうやって徐々に結果を出していくと、とりわけ2011−12シーズンのELでは勝利に勝利を重ね、チームは2季ぶり2度目の優勝を果たす。さらに昨年8月のUEFAスーパーカップではチェルシーに完勝し、ヨーロッパ中に衝撃をもたらした。
クラブが経済的に厳しい状況にあった昨夏、クラブの周囲には開幕前からシンガポールの大富豪ピーター・リムのクラブ買収やファルカオのチェルシー移籍といったうわさが絶えなかった。だがシメオネは、そんな状況で昨季のチーム力を維持するだけでなく、さらに難しい功績まで残してみせた。終始安定した成績を残した国内リーグも資金力で大きな差があるバルセロナ、レアル・マドリーに次ぐ3位で終えたのである。
監督が選手個々の能力を最大限に引き出し、選手たちもまたチームのために100パーセントを尽くす。アトレティコに成功をもたらした秘訣(ひけつ)はいたってシンプルだ。偉大なるゴールキーパー、ティボ・クルトワを中心とした堅守とアルダ・トゥランのタレント、ジエゴ・コスタの破壊力とペナルティーエリア内におけるファルカオの素晴らしい活躍。アトレティコはラドミール・アンティッチが監督を務め、シメオネが選手としてプレーした1995−96シーズンのドブレッテ(2冠)に近い成功を手にしたのである。
そしてレアル・マドリーとともにスペイン国王杯決勝に勝ち進み、その舞台が敵地サンティアゴ・ベルナベウに決まったことにより、アトレティコは14年間にわたってライバルチームのファンからばかにされ、ひやかされ、皮肉られ続けてきた歴史を終わらせるという、かつてない大きな挑戦をすることになる。
幸運を味方につけ手にしたタイトル
今回のスペイン国王杯決勝は、アトレティコにとってビッグゲームで歴史を変えるまたとないチャンスだった。チームの成績不振に加え、クラブ内部に多数の問題をもたらしたジョゼ・モリーニョの退任が間近に迫っていたレアル・マドリーは精神的に付け入るすきがあったからだ。
成功を手にするためには幸運が不可欠だ。この試合では、メスト・エジルとカリム・ベンゼマのシュート、クリスティアーノ・ロナウドの直接フリーキックがゴールポストをたたき、アトレティコはその幸運を味方につけた。そして、彼らにとって特別な意味を持つ通算10度目のスペイン国王杯を獲得した。
この勝利はシメオネにとっても大きな飛躍を意味するものだ。監督として歩んできた10年足らずのキャリアで通算5つ目、アトレティコでは3つ目のタイトルを獲得した彼は、同時にリーグ王者バルセロナと争うスーペルコパ・エスパーニャ、そしてチャンピオンズリーグへの挑戦権を手にした。
アトレティコがサンティアゴ・ベルナベウで手にしたのは1つのタイトルだけではない。彼らは14年にわたって自分たちを苦しめ続けてきた歴史を変えるべく、勝たなければならない試合にとうとう勝ったのだ。
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