『The SUN』は3日、「バイエルン・ミュンヘンへの移籍が決まったDFリュカ・エルナンデスは、5歳の時に父親と別れるという経験をしている」と伝えた。
先日アトレティコ・マドリーから8000万ユーロという価格でバイエルン・ミュンヘンへの移籍が決定したDFリュカ・エルナンデス。
フランス生まれでありながらもスペイン育ちであり、弟のテオ・エルナンデスはライバルのレアル・マドリーに所属しているなど、何かと複雑な要素を持っている選手である。
そして、彼は育ってきた環境も非常に珍しいものがある。
父親はどんな人物だったのか
リュカ・エルナンデスの父親はジャン=フランソワ・エルナンデス。両親がスペイン人のフランス人で、サッカー選手をしていた。
トゥールーズで長くプレーをした後、ソショーを経て、当時2部を戦っていたマルセイユに加入。当時は審判買収事件によって降格処分を受けていたためだ。
彼は初年度でマルセイユの1部昇格を経験し、息子のリュカ・エルナンデスを授かるも、それほど試合には絡むことができなかった。
そこで1998年に新たな挑戦を求めてスペインに渡り、コンポステラでリーガ・エスパニョーラを戦うことに。それからは2部でラージョ・バジェカーノ、アトレティコ・マドリーに所属し、2002年に現役を引退している。
父親との別れ
リュカ・エルナンデスも父親ジャン=フランソワ、母親ピ・ローレンスとともにスペインへと引っ越し、家族で生活をしていた。
しかし突然別れは訪れる。2002年に現役を離れた父ジャン=フランソワは、スペインのTV番組でタレント活動をしていた女優ソニア・モルデスと不倫の末、ピ・ローレンスと離婚したのだ。その時リュカは5歳、テオは3歳だった。
一人で家族を支えることになった母ピ・ローレンスは、当初幼い兄弟がサッカーをすることに心を痛めていたという。彼女を捨てた父がサッカー選手だったのだから、それは当然だろう。
しかし彼女はじきにリュカ、テオの才能を感じ、彼らのサッカー選手になるという夢を応援することを決断したそう。そしてリュカはラージョ・マハダオンダというユースチームに加入。テオも1年後にチームメイトとなった。
ピ・ローレンスは経済的に恵まれない生活の中、毎日兄弟を練習に送り届けていたそう。また、ラージョ・マハダオンダも彼らの才能を認め、奨学金を与えてできる限りのサポートをしていたそうだ。
アトレティコ・マドリーとの出会い
能力を評価されたリュカは11歳の時、アトレティコ・マドリーの下部組織に参加することになる。チームメイトやコーチからは「Jefazo」というニックネームをつけられた。それは「ビッグ・ボス」という意味であるそう。
背が高くてタックルが強く、さらに試合を読むことができる。激しい性格で決断力があり、生まれながらの勝者。したがって彼は際立った存在であったという。
そして2014年、トップチームのディエゴ・シメオネ監督は、当時17歳だったリュカをビジャレアル戦でメンバーに招集した。その1年後にはBチームから正式にトップチームに昇格。ディエゴ・ゴディンやホセ・ヒメネスらと並び、主力としての地位を固めていった。
父親に捨てられた男の子が、父親になった
去年、妻のアメリア・オッサとの間に初めての子供が生まれたリュカ。
夫婦間では一度家庭内暴力の問題が発生したものの、最終的に復縁し、その後は良好な関係を続けているそう。
『Le Parisien』のインタビューでは、彼は父親が犯した過ちを繰り返したくないと誓っていた。
今の僕は全て母のおかげで存在している。彼女は我々を育て、弟と僕をサッカーに導いてくれた。我々のためにどれだけ働いてくれたかわからないくらいだよ。
12~13年、そしてワールドカップに優勝してからも、父親からの連絡は一切ないよ。
父親になった今、僕は彼がやったことをさらに意識している。彼は父親の役割を果たせなかったんだ。
想像できないよ。息子を捨てるなんて。絶対にしない。橋の下で野宿しても構わないよ。息子の幸せのためならば」
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