“英雄”シメオネのアトレティコでの功績を振り返る――2011-2016

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 2006年2月、35歳で選手生活に幕を下ろしたシメオネ。「監督をやるために早いうちに引退したいとずっと思っていた。そのために決断が必要だった」と語った彼は、ユニホームを脱ぐとすぐに、新たなキャリアをスタートさせた。

 現役最後のクラブとなった母国アルゼンチンの名門ラシン・クラブを3か月間率いた後、同年5月にエストゥディアンテスの監督に就任し、いきなり前期リーグ優勝。07年12月より指揮を執ったリーベルでも、08年に後期リーグ優勝を果たした。

 その現役時代と変わらない絶大なカリスマ性とリーダーシップは、往年の名選手で有名なコメンテーターでもあったロベルト・ペルフーモから「生まれながらの監督だ」と絶賛されるなど、飛躍的に評価を高めていった。

 と同時に、その評判は国外にも知れ渡り、11年1月にはイタリアのカターニャが、前年までサン・ロレンソを率いたシメオネを招聘する。監督として欧州に舞い戻った彼は、シーズン途中の就任ながら、降格の危機に瀕していたクラブを立て直してセリエA残留に導いた。

 シーズン終了とともにイタリアを去り、再び母国でラシンの監督を務めたシメオネだが、すぐに欧州へとんぼ返りすることとなる。行き先はスペインのマドリード――。

 12年1月、彼はアトレティコ・マドリーの監督に就任。思い出のクラブと、2005年以来の再会を果たしたのである。

 当時のアトレティコは、知将グレゴリオ・マンサーノが指揮していたが、その攻撃重視の戦術は安定感に欠け、国王杯では2部B(実質3部)チームのアルバセーテに不覚を取るなど、ここ一番に弱く、“ドブレッテ(2冠)”を成し遂げた頃の強さは、見る影もなかった。

 そんな古巣の再建を託されたシメオネは、持ち前の求心力で瞬く間に怠慢だったチームにハードワークと規律の植え付け、就任直後からリーガで6試合連続完封を果たすなど、課題だった守備の改善に成功する。

 こうしてシメオネに導かれ、不安定が代名詞だったアトレティコは、芯の通った闘う集団へと変貌し、リーガでは13位から5位にまで浮上した。

 さらに決勝トーナメントに勝ち進んでいたヨーロッパリーグ(EL)でもリーガでの勢いそのままに、ラツィオやバレンシアといった難敵を退け、一気にファイナルへと駆け上がり、アスレティック・ビルバオとの同国対決に臨んだ。

 この決戦でも、自信を深めていた堅守速攻のリアリスティックなスタイルを貫いたチームは、マルセロ・ビエルサの下で攻撃的なサッカーを展開し、旋風を巻き起こしていたビルバオを3-0で下し、欧州タイトル獲得したのだった。

宿敵レアル・マドリーを破って成し遂げた国王杯制覇!

 就任からわずか5か月で、崩壊の危機にあったアトレティコに欧州タイトルをもたらしたシメオネの辣腕は、12-13シーズンにさらに極まっていった。

 ちなみにこの頃のチームの顔は、チェルシーとの一戦でもハットトリックを決めるなど、大エースとして君臨していたラダメル・ファルカオであった。

 シーズン開幕直後の8月31日に行なわれたチャンピオンズ・リーグ(CL)王者チェルシーとのスーパーカップでも、このコロンビア人ストライカーはハットトリックを決め、チームの4-1の大勝に大きく貢献していたのである。

 しかし同時に、エースばかりが目立つワンマンチームとも呼ばれ、それはアトレティコがさらなる上位進出する上での課題でもあった。

 そこでシメオネは、素行不良からラージョ・バジェカーノで武者修行を行ない、チームに復帰したばかりの巨漢FWジエゴ・コスタを2トップの一角に置き、攻撃力の上積みとファルカオへの負担軽減を狙った采配を振るう。

 シメオネに重宝されたことでチームに馴染んだD・コスタは、リーガで10ゴール・12アシストと好結果を残し、さらにマークが散ったファルカオも28ゴールと爆発。シメオネの人選は、見事に的中したのである。

 2人の大砲の活躍で勝ち星を重ねていったアトレティコは、リーガでもシーズン途中まで2位に食い込み、バルセロナを追走。最終的にレアル・マドリーにも抜かれて3位となったが、当初の目的であるCL出場権を獲得した。

 さらに、無類の勝負強さを見せつけたのが国王杯。8試合16得点を挙げ、ベティス、セビージャを下して決勝にまで勝ち進むと、ファイナルではマドリーを延長戦の末に2-1で撃破してみせた。

 実に14年間勝てなかった宿敵を下しての戴冠は、ファンの積年の想いが晴らされた瞬間であり、これにより改めてシメオネの偉大さが証明された。

2強時代に終止符を打った「チョリスモ」。

 就任1年目にEL、2年目にスーパーカップ、国王杯と常にタイトルを手にし、就任当初の不安定な状態を考えれば、望外とも言うべき成果を残してきたシメオネとアトレティコ。しかし、彼らのリーグ制覇という大望は叶っていなかった。

 というもの、過去9年間にわたってリーガの覇権はバルサとマドリーが分け合い、さらにこの2チームが極端に優遇されたテレビ放映権料の分配率の不公平さから財政力格差が広がり、2強の牙城を崩すのは不可能だとされていたのだ。

 事実、アトレティコは経営上の都合から、迎えた13-14シーズンの開幕前にファルカオをモナコに手放し、戦力ダウンは必至と見られていた。

 しかし、「チョリスモ(シメオネ主義)」を植え付けられたアトレティコは、周囲の予想に反して勝利を重ね、開幕8連勝でロケットスタートを切ると、失速することなくバルサ、マドリーに並び、優勝戦線を沸かせる。

 前シーズンに台頭したD・コスタが27ゴールを挙げて攻撃を牽引したことで、シーズン前、最大の不安要素だったファルカオ退団の穴は見事に埋まった。

 中盤ではコケ、、チアゴらが試合を巧みにコントロールし、最終ラインは、シメオネが後に「絶対に手放せない」と絶賛したディエゴ・ゴディンを中心に強固な壁を作り、敵の攻撃を阻み続けた。

 こうして、熱血漢シメオネの下で、2強に勝るとも劣らない機能美を誇ったアトレティコは、終盤戦も息切れすることなく首位をひた走り続けた。

 そして、引き分け以上で優勝となる最終節、カンプ・ノウでのバルセロナ戦を1-1で乗り切り、1995-96シーズン以来、18シーズンぶり10度目のリーガ戴冠を成し遂げ、長きにわたる2強時代に終止符を打ったのである。

 リーガを席巻した力はCLにおいても発揮され、決勝トーナメントでミラン、バルセロナ、チェルシーという欧州のメガクラブたちを次々に撃破し、決勝に駒を進めた。

 リスボンで行なわれた決勝は、奇しくもマドリード・ダービー。アトレティコはゴディンのヘディング弾で先手を奪うも、後半アディショナルタイムに悪夢の同点弾を食らう。力尽きた延長戦ではマドリーに3ゴールを許し、苦汁をなめた。

千載一遇のチャンスを逃したアトレティコ。しかし、欧州最高峰の舞台で最大級のサプライズを巻き起こしたチーム、そしてこれを率いたシメオネには、シーズン終了後、王者マドリーに比肩するほどの称賛を浴びせられたのである。

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 シメオネ到来以降、弛まぬ努力とハードワークでチーム一丸となり、いかなる大敵や困難にも果敢に挑み続けてきたアトレティコのスタイルは、まさしく指揮官の現役時代を彷彿とさせるものである。

 アルゼンチン生まれの熱血漢シメオネと、「チョリスモ(シメオネ主義)」が根ざして復活を果たしたアトレティコ。永遠に語り継がれるであろう偉大な関係は、この先、両者にいかなる未来をもたらすか――。その歩みには、今後も目が離せない。

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