7日は、アトレティコ・デ・マドリーにとって悲しみの日となった。クラブ最多得点記録(170ゴール)を保持するアドリアン・エスクデロが、83歳でこの世を去ったのだ。1946~1958年にアトレティコでプレーしたエスクデロは、ロヒ・ブランコのユニフォームともに最上級の輝きを見せた選手の一人だった。1950、1951年にはリーガエスパニョーラ制覇に貢献した。
エスクデロは、クラブがアトレティコ・アビアシオンを名乗っていた1946年にロヒ・ブランコの一員となり、リーガで287試合に出場して150ゴールを記録した。1958年に引退した後にはアトレティコのレジェンドとなり、カンテラの下部年代、Bチームの監督を務めるなど、クラブとの関係を保ち続けた。
エスクデロは、アトレティコの極上の五重奏を奏でた一人としても知られる。1947-48シーズンにはフンコサ、ビダル、シルバ、カンポスとともに“ラ・デランテーラ・デ・セダ(絹の前線)”と称された。また1950-51、1951-52シーズンにはフンコサ、ベン・バレク、ペレス・パジャ、カルルソンとオフェンスを形成し、これは“ラ・デランテーラ・デ・クリスタル(クリスタルの前線)”と呼ばれた。
◇アドリアン・エスクデロ
生年月日:1927年11月24日
在籍クラブ:C・D・ロンダ、バンコ・イスパーノ・アメリカーノ、メディオディア、アトレティコ・アビアシオン
アトレティコデビュー:1946年1月27日(バルセロナ 2-1 アトレティコ・アビアシオン)
初ゴール:1946年1月27日(アトレティコ・アビアシオン 5-2 エルクレス)
リーガ出場数:287試合
リーガゴール数:150ゴール
カップ戦出場数:37試合
カップ戦ゴール数:18ゴール
獲得タイトル:リーガ(1949-50、1950-51)、コパ・プレシデンテ・デ・ラ・フェデラシオン・エスパニョーラ(1947)、コパ・エバ・デュアルテ・デ・ペロン(1947)
スペイン代表出場数:3試合
スペイン代表ゴール数:1ゴール
スペイン代表デビュー:1952年12月7日(スペイン 0-1 アルゼンチン)
アトレティコは公式HPで、次のような声明を伝えている。
「コロチョネロのドン・エンリケ・セレソ、ドン・ミゲル・アンヘル・ヒル・マリン、すべてのクラブ信奉者の名において、エスクデロのご家族にお悔みを申し上げます。エスクデロが安らかに眠られますように」
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