フットレ、60歳の誕生日を“少しのスパイス”とともに祝う

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ロヒブランコのファミリーは、アトレティコ・マドリーの歴史における偉大なレジェンドの一人を祝う誕生日を迎えました。パウロ・フットレの場合、あまりにも特別な人物であるため、1年で最も日数の少ない月の最後の日を選んで、ポルトガルのモンティージョで誕生したほどです。

1966年のことでした。彼はやがて母国ポルトガル、そして国際サッカー界、もちろんアトレティコ・マドリーの歴史においても最も重要なフォワードの一人となりました。幼少期からロヒブランコで育ったわけではありませんが、メトロポリターノのクラブが持つ意味を誰よりも深く理解し、そしてほとんど誰にも負けないほど愛された選手でした。

「今日で60歳になりました。時が経つのは早いですね…スコアボードには60ゴールです!これまでずっと寄せていただいた愛情に心から感謝します。まだまだ試合は続きますよ、友よ。皆さんに強い抱擁を送ります」と、パウロ・フットレはSNSでメッセージを投稿しました。

そして彼らしく、サッカー界に少しの“スパイス”を加えることも忘れませんでした。特にアトレティコとの永遠のライバル関係においてです。1992年コパ・デル・レイ決勝でパコ・ブジョに決めたあの歴史的ゴールの写真を投稿しました。あの試合でアトレティコはレアル・マドリーを2-0で下し、タイトルを手にしました。

ロヒブランコのファンは、あのゴールと決勝戦がフットレにとってどれほど特別なものかを知っています。彼はかつて、あの永遠のライバルを自らのスタジアムで打ち破ったゴールを「リーグ優勝5回と引き換えにもできない」と語ったことがあります。

パウロ・フットレは、アトレティコの近代を象徴する選手の一人です。1987年夏、ポルトで欧州カップを制した後、ヨーロッパで最も注目されるフォワードとして加入しました。ヘスス・ヒルが当時の4億1,500万ペセタ(現在の約250万ユーロ)を支払い、会長選に勝利した後の獲得でした。最初の6シーズンでコパ・デル・レイを2度制覇しました。1997-98シーズンには第2期を迎え、ロヒブランコのサポーターへの敬意を込めて背番号「12」を着用しました。公式戦通算215試合出場、52ゴール。まさに伝説の選手です。

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