アトレティコ・マドリーのレジェンドであるパウロ・フットレは、最近、ジョゼップ・ペドレロルが司会を務める番組「El Cafelito」に出演し、サッカー選手としてのキャリアや、パコ・ブヨとのダービーや対決を含めて振り返りました。また、ロヒブランコのクラブでスポーツディレクターとして活動した、フロント時代についても語っています。
このポルトガル人は、あまり知られていない出来事を明かしました。クラブが司法管理下にあった当時、選手たちに支払うため、自身のポケットマネーを出さなければならなかったというのです。
「2002年当時、もしアトレティコが昇格できなければ、抱えていた負債のために政府はクラブを解散させようとしていました。(司法管理人の)ルビ氏と他に4人の監査役がいました。当時は『クリーンな金(帳簿上の金)』しか入れることができませんでした。その時代のスペインでは、裏金で支払う習慣がありました。契約には『A』と『B』の2種類があったのです」とフットレは語り始めました。
「なぜあのチームが2部に降格したか分かりますか。全選手が2つの契約を持っていたのです。『A契約』は10%か20%で、残りは裏で支払われていました。司法管理は契約書を確認し、選手たちはその契約のせいで刑務所に行く可能性がありました。そんな状況で、どうやってプレーできるでしょうか。私がスポーツディレクターとして入ったとき、クラブは司法介入の中でも最悪の状態でした。昇格できなければ、続けることはできませんでした。3部に落ちてしまうところだったのです。選手たちは何カ月も給料をもらっておらず、中には食べるものさえない選手もいました」と続けています。
当時のフットレは追い詰められていました。「私はアトレティコ・マドリーの裕福な紳士たちに助けを求めました。セレソ会長やミゲル・アンヘル(ヒル)は、私が何を言っているか分かっているはずです。しかし、誰もお金を出そうとしませんでした。ヒルが投獄される前のある時点では、アトレティコにあった『クリーンな金』はすべて私のものでした。毎試合前に、自分のお金を選手たちに配り、幹部たちと話して、渡した金額を記録するように言っていました」と明かしました。
投入した金額について問われると、フットレは次のように述べました。「私はラジオ・マルカでセレソ会長と公の場で口論になり、彼が私が出した金額を口にしましたが、私はこの件について話したいと思ったことはありません。多額のお金を出しました。私は13歳から15歳まで整備士として働いており、もしアトレティコが昇格できなければ、また整備士に戻らなければならないと思っていました。もちろん、その金は後で返してもらいましたよ。アトレティコを救わなければならなかったのです。選手たちには『この金は俺の金だ。昇格できなければ俺はこの金を失う。だからクラブのため、そして俺のために死ぬ気で戦え』と言いました。ルイス・アラゴネスも金を出したがりましたが、私は断りました。彼は何年も無給で働いていたのです」

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